ナラティヴ・セラピー実践トレーニングコースの選考方法について

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ここでは、2024年からスタートする「ナラティヴ・セラピー実践トレーニングコース(KAKA)」における受講者の新しい選考方法について述べています。この実践トレーニングコースの詳細については、次のリンクを参照してください。

NPACCでは、2019年から、ナラティヴ・セラピー実践トレーニングコースという、ナラティヴ・セラピーを学ぶためのコースを行ってきました。

このコースは、2年間かけて、ナラティヴ・セラピーの学びと実践に集中的に取り組むためのコースとなりますが、コースの趣旨や、様々なリソースとの関係から、10~12名程度という、少人数でコースを開催してきました。

その際、募集人数を越えての応募もあることから、応募時に書いていただくエッセイを中心として、NPACCのスタッフで話し合いながら受講者を決めるという形を取ってきました。NPACCのコースで、こうした選考を行うのは唯一このコースだけになります。

これまで3期にわたって実施してきたのですが、そうした経験を通じて、この選考の在り方について、次第に疑問や違和感を感じるようになってきました。

そこでこの度、このナラティヴ・セラピー実践トレーニングコースの選考方法を見直し、エッセイを中心とした合議に抽選を組み合わせるという、新しい形で選考を行うことに決めました。

この選考方法は、アメリカの政治哲学者であるマイケル・サンデルの『実力も運のうち 能力主義は正義か?』(鬼澤忍訳、早川書房)という書籍に影響を受けています。

サンデルは、大学入試のように、人々を能力的なものによって競わせ、評価し、合否を決めていくような「選別装置」が普及していることについて、様々な考察を行いました。そして、こうした選別装置は、それに関わる人々に様々な負の影響を与えていると考察します。

例えば、こうした選別装置は、テストに臨んだ人たちを、特定の基準によって合格と不合格に振り分けます。この社会において、こうしたシステムは、「合格者は才能と努力によって成功を勝ち取った」、「不合格者は努力や能力が足りなかったのだ」という言説を、暗に再生産しているのではないか、そしてその結果、選ばれなかった者には屈辱と敗北感を与え、選ばれた者には能力主義的な勝者の感覚を生み出し、両者の溝を深めていくような結果をもたらしてはいないだろうかと考えました。

私たちは、様々なコントロールできない状況の中で生きています。もちろん、私たちは「努力」をすることもできます。しかし、何かの才能に恵まれること、持った才能が社会的に価値づけられているものとたまたまマッチすること、才能を磨いたり努力をするための様々な条件に恵まれること、そこに「運」とも呼ぶべき要素が大きくあることは、間違いありません。

「選別装置」は、私たちがそうした「運」の中に生きていることを、忘れさせ、能力主義や自己責任論のディスコースを助長させる結果になってはいないだろうか、サンデルはそう考察しています。

サンデルはまた、これから学びのプロセスに臨む人たちの中で、誰が誰より抜きんでているのかなど、そもそも事前に把握しきることは難しいだろうとも考えます。誰が誰より優れていて、将来のことまで含めて、誰がその学びを受けるに値するかといった判断に、絶対的な基準を設けることなど不可能ではないか、ということです。

こうした議論を通じて、サンデルは、「くじ引き」、すなわち「運」を選考のプロセスに組み込むというオルタナティヴな方法を提案しています。

「くじ引き」と言うと、「何も考えず全部運任せにするのか」と感じてしまうかもしれませんが、そういうわけではありません。例えばサンデルは、必要な部分で、「運」以外の要素を組み込むことも認めています。ある程度、その大学の学びについていけるかを判断する必要性があるだろうことを認めていますし、必要に応じて、多様性に配慮する措置もとれるだろうと考察します。

しかし、そうした点を認め、取り入れつつも、「運」という要素を選考の中心部分に取り入れること、つまり、ある程度以上のところでの選考を「運」に任せることは、能力主義が生み出す様々な負の影響に対抗できるのではないかと考えるのです。

それは、「合格のため」の競争に人々を走らせることを避けることになります。

私たちが様々な意味で「運」に左右されていることを認めることで、受かった人と受からなかった人に、勝者と敗者のような感覚をもたらしたり、傷つきや分断を生み出すことを避けられます。

そしてなにより、こうしたシステムを作ることで、自己責任論や能力主義の専制から距離を取り、人々の間に謙虚さや思いやり、ひいては連帯を取り戻していく契機になっていくのではないか、と考えるのです。

サンデルの議論は、より射程の広いものですが、私たちはこの主張と提案に共感しました。

このトレーニングコースでは、これまで、受講者を決定するプロセスを、NPACCのスタッフによる話し合いによって行ってきました。しかし、その過程は、すんなりと決まるものではなく、回数を重ねるほどに、絶対的な基準も正しいやり方もないことを実感することになりました。

この選考では、応募者に書いてもらった、「あなたがナラティヴ・セラピーを学びたいわけ」というエッセイを中心に据えてきました。このようなエッセイを書いてもらうこと、読ませていただくことは、このコースに取り組むにあたって、私たちにとっても、また受講を希望してくださる方にとっても、大切なプロセスだと感じています。

しかし、誰しも参加を希望する思いがあり、そう思うに至るまでの物語がある中で、このエッセイを選考の中心に据えてしまうことは、申し込んでくれた人の思いや物語に評価をつけるようなニュアンスをどうしても伴ってしまうことに気づきました。

それは、私たち、選考をする側にとって居心地が悪いというだけでなく、特に、受講の枠から漏れてしまった人にとって、傷つく体験として残ってしまうだろうと感じられました。どんなに、そういうつもりでないことを伝えようとしても、このシステムの構造自体が、自分に何か不足があったとか、ダメだったんだと思わせてしまう力を持っているように思います。それは、ナラティヴ・セラピーの言葉で言い換えれば、問題を内在化する契機となってしまうものでもあるでしょう。せっかく興味を抱き、学びのプロセスを進めていた人が、ナラティヴ自体から遠ざかってしまうきっかけになってしまうことさえあるかもしれません。

やはりこの方法は、私たちが目指したい方向でもなければ、ナラティヴ・セラピー自体が持つ方向性とそぐうものでもないと、私たちは感じました。

そこで私たちは、サンデルの提案を下敷きに、応募者の思いや歩みを大切にしながらも、必要な部分で話し合い、判断する余地を残しつつ、「運」の要素を組み込みこんだ新しい選考方法を考えたいと思いました。そして、大きく、次のようなプロセスを軸とする方法を考えました。

1.応募に際しては、これまで通り、「わたしがナラティヴ・セラピーを学びたいわけ」というエッセイを書いて提出していただく。

2.各選考委員(NPACCスタッフとファシリテーター)は、申込者のエッセイを中心に、コースに推薦する人を10名ほど選ぶ。

3.この時、ほとんどの選考委員から名前の挙がった人には受講者の枠に入ってもらう。

4.その後、推薦された者の中で「抽選」を行い、すべての受講者を決定する。その際、抽選が決定的な要素となるようにしつつも、受講者の領域の多様性を確保する形をとる。

※以上のプロセスを、必要に応じて、議論を行いつつ進めていく。

この選考方法には、次のような意図や思いがあります。

まず、この実践トレーニングコースへの参加にあたって、そこにある思いや歩みを、応募の時点で、受講者自身が振り返り、言葉にしてもらう機会をとることは、変わらず大切だと感じました。また、そうしたものを、私たち(NPACC)の側が受け取っておくことも大切であると思います。応募のエッセイは大切なものとして残しておきたいと思いました。

その中で、各選考委員の推薦という形を組み込んだのは、サンデルの、「くじ引き」前に、ある程度の基準を設けておくというアイデアに代わるものです。応募してくださった方の思いにも、歩みにも、貴賤はないことははっきり述べておきたいと思います。同時に、私たち(NPACC)自身が、思いを持って取り組もうとしているこのコースにおいて、エッセイやこれまでの学びのプロセスを通して、惹きつけられ、一緒に学びたいという思いを喚起させるようなものがあれば、それを大切にしたいと感じる気持ちも除けずにおきたいと思いました。自分たちの主催するコースに責任を持つためにも、私たちは、私たち自身の判断や感覚を取り込む余地も残しておく必要があると感じます。ただし、それは、最大限慎重な形で行われねばならず、誰か一人の感覚を頼るような専制的なものになってしまわないようにしなければなりません。

そこで、NPACCのスタッフとファシリテーターを合わせた、合計8名程度の選考委員が、それぞれの考え、判断を持ち寄って推薦者を出していく形をとることにしました。そうすることで、多様な観点で、いろいろな人が掬い上げられるプロセスとなることが、ある程度担保される構造になると考えました。同時に、もしそこに大きな一致をみるときにはその判断を信じることもできます。また、推薦という形をとることで、「運」に任せる前の判断のプロセスを、人々の周縁化や脱資格化、問題の内在化を促進するような「誰が不適格かを選ぶ」という形を回避して行えるのではないかと思いました。

そして、最後の「多様性の確保に配慮した抽選」についてです。まず、参加者の多様性を確保することは、特にディスカッションを中心とするこの実践トレーニングコースでは重要になります。例えば、これまでの経験で、このコースでは、受講生が身を置く領域(キャリア、心理、福祉、組織などなど)の多様性というのは一つ大切なものとして感じています。

ただ、人の判断に頼るプロセスでは、多様性の配慮はなかなか難しいところがあります(多様性のために誰かを入れるという判断が行われれば、必然的にはじかれてしまうことになった人が、今度は不本意な思いを抱えることになるでしょう)。一方で、10名程度という、枠自体も少数の場合、運だけでは偏りが生まれ、最低限必要な多様性が損なわれる可能性もあります。

そこで、多様性を確保する必要がある要素については、応募者数との兼ね合いを見ながら、領域ごとに人数枠を決めて抽選をするなど、「運」の要素を取り入れつつ、多様性を加味した選考を目指すことができるのではないかと考えました。

なお、多様性という言葉に含まれる要素は、数限りなくあることを理解しています。どの多様性を加味する必要があるのかは状況に応じて考えますが、認識できていない要素も含めて、ある程度の多様性を期待できるのも、この「運」に頼った方法の利点でもあります。ですので、大きな方針としては、多様性を確保するとしても、なるべく介入する部分は少なくしていく方向で考えています。

以上、ナラティヴ・セラピー実践トレーニングコースの選考について、その新しい方法と、私たちの考えを書かせていただきました。
当然、まだ視野に入っていないこともあると思います。この方法が絶対的なものだと思っているわけでもありませんし、実際に運用する中で、また見えてくるものもあるだろうと考えています。

それでもNPACCとしては、実践トレーニングコースの選考というプロセスが、それにかかわる人たちに、サンデルの示したような「選別装置」の負の影響を含意しないものにしたいと思い、今回この方法を練り直しました。


また、こうしてその意図を説明することで、透明性を確保するとともに、この社会に普及し、当たり前のものとして、専制的な力を持ってしまっている「能力主義」の在り方を是としない姿勢を示したいとも思いました。そして、今後も、批判的に、オルタナティヴな在り方を探し続ける姿勢を持ち続けていきたいと思います。

2023年11月7日

ナラティヴ実践協働研究センター