
ナラティヴ・セラピー・ワークショップ・シリーズ2025に参加して(参加者からの声)
2026-01-22
臨床家のリフレクション(八巻甲一さん編)(参加者の声を掲載)
2026-02-19参加者の声(2026年2月19日追記)
ワークショップに参加した人から感想を頂いています。ホームページに掲載してもいいという許可をいただいたものだけ掲載します。
| NO | 今回のえぬぱっくの本棚に参加しての感想、考えたこと、これから取り組んで見ようと思ったことなどを教えてください。 |
| 1 | チャットでも書きましたが、今回は社会構築論が自分の生き方の中でどんな位置づけになるのだろうかと考えながらお話を聴いていました。関係性を柱とし他者への尊重を生む社会構築論の考え方に強い親和性、共感を感じていますが、その実践はカウンセリングの場での自分の姿勢やクライエントへの関わりが主で、他には私自身の社会生活の中では既存のディスコースや制度に関わる困難を脱構築する、それによって距離を取り、ポジティブな面に目を向けるといった位置付けに留まっています。こうした問題意識を深めていこうと思いますが、他の方々がどう実践と結びつけておられるのか聞いてみたいとも思います。 |
| 2 | 構築プロセスは違えどかなり近しいものであることが分かりました。まもさんの個人的解釈の解説時間をメインにしてほしいと思いました。ハイエクとの違いの解説も詳しく聞きたいと思いました。 |
| 3 | まもさん、社会構築主義と仏教について、膨大な読書量と思考の蓄積からお話しいただき、本当にありがとうございました。ナラティヴ・アプローチの実践者が独立した「個人」ではなく、周りを含めた人々の中に「人」がいると(立ち上がると)考えて実践していること、すべてが相互依存的な存在であることを土台にリフレクティング・プロセスやアウトサイダー・ウィットネスの実践がなされていることなどから、social constructionと仏教には親和性があるとは思ってきました。 トム・アンデルセンは自己について「空ろ」という表現をしていますが、これも近代的な個人のアイデンティティではなく、「すべては他のすべてとの関わりにおいてのみあり得る」もので仏教の「空」ですし、人の世界への参加は名詞のbeing(存在)ではなく、動詞のbeing(ある)だと言っていて、ガーゲンとホスキングの今回の論文と同様です。 (近代的な)自己を維持しようとする闘争を放棄し、境界が柔らかくなることで「私たちの生きている世界」のすべてが神聖なものとして立ち現れるという箇所からは、権威的な専門家の支援ではなく、人としてともにあることを目指すナラティヴ・セラピストの姿が浮かびます。ナラティヴ・メディエーションは関係的責任(共同的責任)を問う実践だと考えてきました。 よって「接点」については、いろいろと思い浮かぶこともあったのですが、違いについてはもちろん今回だけで整理することはできませんでした(今後少しでも考えられればと思います)。 最後に、ガーゲンは「アメリカン」であるということを(悪い意味ではなく)今回かなり感じました。私たちは日本人ですから、バックグラウンドや発想の仕方から、言葉の使い方も違うのは当たり前のことですが、今までここまでは感じなかったのに今回は強く感じるのも少し不思議です。仏教の取り上げ方(そこにずっとあったものか、行きついたものなのか)が影響しているのかもしれませんが、ホスキング(ヨーロッパ人)とも違いを感じました。そのような立ち位置の違いは、植民地化を防ぐためにも丁寧に考えていきたいです。 |
| 4 | 「慈悲」や「ケアの倫理」というものは、どのようにしたら発現するのだろうか?と考えていました。「関係的責任」を考える上でも、「権力」の視点と「生成(becoming)」の大切さを感じています。 訳して頂いたジョン・ウインズレイドの論文を再度読み込みながら、フーコーとドゥルーズについて、より学びを深めたいと思いました。 |
| 5 | 最近、宗教心理学や仏教心理学に関心を持ち始めたところで、社会構築論とどう繋がっているのかというタイトルに強く惹かれ、初めて参加しました。理論的な部分はきっと難しいだろうと思いつつも、まずはその内容に触れてみたいという想いが先に立ちました。まとめてくださっていた、仏教と社会構築論の「接点」と「緊張関係」の比較整理が非常に分かりやすく、イメージの助けになりさらに興味深く読むことができました。 中でも印象的だったのが、慈悲を「関係性を築くプロセスへの配慮(ケア)」と定義する視点です。単なる感情ではなく、関係性そのものへの働きかけであるという捉え方に、少し腑に落ちるものがありました。さらに、「社会で起こることを補うために言語がつくられるため、価値中立はあり得ない」という指摘も非常に心に残りました。その他にも、脱構築と瞑想を解放のアプローチとして並べて考える視点や、ナラティブ、組織開発への応用可能性など、多角的な知見に触れられたことが、個人的にはとても新鮮でした。一度で全てを理解するのは難しかったですが、少しずつでも学びを深めていきたいと思いました。 |
| 6 | 社会構成主義と仏教(大乗仏教)の共通性について興味深く話を聞かせていただきましてありがとうございました。ほどんど理解できてはいませんので、今後の社会構成主義と仏教について興味を持ちさらなる理解を深めたいと思っています。また、仏教における瞑想は支援者にとって大切なことであると感じています。グループメンバーで瞑想について学び続けていらっしゃる方からも本来の瞑想は、仏教でいうところの瞑想であるということも教えていただきました。以前から瞑想には興味があり益々関心が湧いてきました。そして、瞑想とは日々の生活の中におけるあり方ではないかというような思いも湧いてきたりしています。 |
| 7 | 仏教と社会構成主義の接続を見るに、日本では対比的にキリスト教(特にイエズス会けい)も参照すべきではないかと考えた。霊操の考えは瞑想と対比可能だし、社会構成主義は出自をどう偽ろうと、キリスト教文化圏から出てきたことは間違いないであろうから。 一つの意見として個人主義の否定を述べるのは立場としては理解するが、その論点自体個人主義的価値観を出自とすることも明らかだし。 特に日本においてはガーゲンと違う意味で関係性原理主義とも言える構造が完成してしまっており、ガーゲンの手法を盲目に拡大利用することは危険が伴うと思われた。 |
| 8 | 大変興味深いお話をありがとうございました。 仏教と社会構築論という取り合わせに、わからないなりにも知的好奇心を抑えきれず、申し込みました。 正直なところ始まる直前まで、きっと聴いていてもチンプンカンプンだから耳だけ参加にした方が良いのは?と何度も迷っていました。でも、リアルタイムで参加して良かったです。今もまだ今回のテーマから興奮冷めやらぬ状態です。 仏教という宗教の真髄についても興味がありましたし、社会構築論についても知りたかったです。そして、それらがナラティヴ実践とどうつながっているのか?についても知りたくてたまりませんでした。私は、どうもなぜここまで自分がナラティヴ・セラピーに惹かれてやまないのか?をそれこそ考古学的に刷毛で掃いたり清めたりしながら確かめている最中なのだと、改めて今現在の自分の状況を言葉にすることにもつながりました。そして、今回のお話は、やはり惹かれずにはいられないものの正体にほんの少し近づく機会となりました。 (知的には全くついていけてない自覚はあるものの)面白くてたまらない。 衛さんは、ご自身が日本に来たガーゲンに投げかけた質問『慈悲についてどう考えるか』へのガーゲンの回答から始めて、これが今日の話のゴールでもあると言われた。その言葉の中の「関係性のプロセスの活力こそが私たちにとって意味あるもの、重要なもののすべてを生み出す」や『慈悲は、関係性を築くプロセスへの配慮(ケア)から生まれる』というのも、“これ、まさしくナラティヴ・セラピーそのものじゃん?!”という独り言から私の受講は始まりました。 ガーゲンとホスキングの対話から紐解かれる社会構築論と(チベット)仏教の考え方の中で使われている言葉や仏教の教えの数々も、大変印象的で何度も嚙み締めずにはおれず、わかったようなまったくわかっていないようなところを行き来しています。 解放leberation(=解脱)?!や、ブッタと出会ったと思った瞬間に「彼を殺す」ことの意味や、「真価のアプリシエーション」や、「会話は二人のタンゴ・ダンサーの動きのように、相互に構築し合っている~」や、小乗仏教における『縁起』A→B→C→Dという連鎖ではなく、大乗仏教では「AはBがいないと存在しないし、BはAがいて初めて存在する」と捉えるいうくだりも、チベット仏教における『瞑想』の意味も、どれもこれも示唆深く想いがめぐっていく。衛さんが社会構築論と仏教の共通点と相違(緊張)についてまとめて下さっているのも有り難く、またそこから私自身はナラティヴ実践にも想いを馳せています。 最後に、衛さんの個人的な感想を聞かせてもらったことで、さらに、『社会構築論のガーゲン』というのではなく、今現在を生きる人としての苦悩も挑戦も含めて、その理論を論じるガーゲンという人を垣間見ることが出来たように感じています。この感じ方も個人主義なのかもしれませんが、それも含め、手をつなぐ対象として存在を感じながら、これから理論を読み進めることが出来そうで、私にとっては大変有難いことでした。 そういえば、ダライ・ラマ14世が来日したときは、とりあえず会ってみたいと出かけた私。でもその時の印象として今も鮮明に残っているのは、ダライ・ラマ14世に一青窈さんが質問していた「国境って概念、必要なのでしょうか?」です。(ダライ・ラマの応えははっきりしていないように私には感じられた)何だか、境界を乗り越えるって何だ?と存在論にも続きそうです。 言葉で仏を説明しようとした途端、ぶん殴られる?物騒な仏教界や、言葉でわかった気になるなという社会構築論に触れながら(そしてマイケルホワイトも、「その言葉使っているうちはわかってないでしょ!」と言いそうと思いながら)、これからも多様体よろしく変化変容し続けていきたいと思います。 最後に、私がナラティヴ・セラピーに惹かれている理由のひとつは、『知が知で終わらず、実践に向かっていることだ』と今強く感じているということを伝えておきたいと思います。少なくとも少しでもそうありたいと願う私でいたいとも思っています。 これからも興味深い研修や読書会、本棚ご招待よろしくお願い致します。また衛さんからもお話聴きたいです、貴重な機会を本当にありがとうございました。 |
| 9 | 難しい概念をその道を探究している人からの語りで学べる機会は大変ありがたいです。講義の前に、題材をざっと読んだが、とても太刀打ちできない内容で、マモさんの優しい語りに助けられた。ただし、今回の題材は難解であった。 |
| 10 | 社会構築論と仏教の接点に関心を持っていたため、とても興味深く話をお聴きしました。当日の参加と録画も何度か視聴いたしましたが、その都度新しい疑問が浮かび上がる状態です。今の自分には、知らないことを知るという「無知の姿勢」と、瞑想の実践により自己の境界を柔らかくして慈悲を高めることで精いっぱいな感覚です。視点の置き方によって、多様な理解があることを心に持ちつつ、この後も資料を読み込んで、録画を視聴させていただこうと思っております。好奇心を高めていただける講義を開催していただきありがとうございました。 |
| 11 | 仏教について学ぶというよりかは、仏教とは仏教以外で考えると どう活かすことができるのかを 教わった気がいたしました。日頃から、すでに身近で教わったものを体験しているかもしれない。ご発表してくださったまもさんの『道で社会構築論に出会ったら』 のタイトルを振り返りつつ、想いを馳せております。自分なら、まもさんのレジュメを どう活かすのか。どう、まとめていくのか・・・をまとめきれることなど出来ないと知りつつも、励もうと思います。ありがとうございました。 |
えぬぱっくの本棚(8冊目)
道で社会構築論に出会ったら:仏教との対話
ケネス・ガーゲンとダイアン・マリー・ホスキング
社会構築論とその実践は、ポストモダーンの思想を背景に持ちますが、日常的なものの見方と異なることから、理解することが難しいことがあります。
ガーゲンの「関係から始まる」(原著は2009年出版)の最後の部分に、社会構築論と仏教の類似性についての言及を見つけ、私(佐藤衛)は何か懐かしいものと繋がった感覚を持ちました。
この点について、もう少し具体的に知りたいと思っていたところ、今回紹介するガーゲンとホスキングの対話に出会いました。ここでは、社会構築論と仏教の考えの親和性が深いレベルで説明されています。
この対話を通じて、西洋の思想だけではなく、歴史的にも文化的にも日本に馴染みのある仏教思想から社会構築論にアプローチすることができます。また、ガーゲンらの提唱する社会構築論とナラティヴ・セラピーの類似性と違いについても、あらためて考えることができるように思います。
ご関心のある方、ぜひご参加ください。
※ この対話の原題は“If You Meet Social Construction Along The Road: A Dialogue With Buddhism”です。これはMaurits G.T. Kwee, Kenneth J. Gergen & Fusako Koshikawa:“Horizons In Buddhist Psychology” (2006)の20章にあるものです。
※ このタイトルは、「臨済録」の「道でブッダに出会ったら、ブッダを殺せ」という言葉から来ており、その意味は本論で説明されています。
■「えぬぱっくの本棚」について
カウンセリングやセラピーに取り組む中では様々な書籍や文献に出会うことになると思います。そうして魅力的な本に出会った時、その本の中身や、そこから着想を得て膨らませたアイデアを、誰かと話したくなった経験は誰にもあるのではないかと思います。NPACCでも、しばしばオフの時間にそうした会話が展開するのですが、この会話をもう少し広げてみることはできないだろうか、と思いました。そこで、その時々に出会い、魅力を感じた書籍や文献をシェアし、興味を持った人たちで会話を広げていくような機会を作ってみたいと考えています。
取り扱う書籍や文献は、NPACCの興味関心上、ナラティヴ・セラピーに関係するものや、近い領域のものになると思いますが、それに限らず大切さや興味深さを感じたものがあれば積極的に取り組んでいきたいと思います。
形としては、プレゼンターが、読んで惹かれた、あるいは発想を膨らませた本の内容をみんなで読んだり、プレゼンターが説明したり、考えたことをシェアしたりしつつ、小グループでのディスカッションなどを通して、参加している人たちで、それを基に会話できる時間を設けていく予定です。
平日夜に2時間半ほどの時間で開催してみようと思っています。連続講座のようなものではありませんので、1回ごとにお申込みいただけます。なお、このイベントの開催は、本との出会い次第ですので不定期になります。
参加したかったけど時間が合わなかったという人のために、その時のプレゼンテーションを録画して、後日視聴もできる形を作っておきたいと思います。
■ 今回扱う書籍・文献
道で社会構築に出会ったら:仏教との対話
ケネス・ガーゲンとダイアン・マリー・ホスキング
■ 論文の要綱
仏教の教えの起源は2,500年以上前にさかのぼります。一方、社会構築論が理解できるようになったのはここ数十年のことです。仏教の教えは、古代の文化環境の中に根ざしており、しばしば伝統的なものと考えられています。それに対して、社会構築論は、世界が急速にグローバル化、ポストモダン化するなかで生まれたものです。つまり、社会構築論は、何が現実であるか、何が合理的で、道徳的に良いことなのかという問いに関して、複数の表現があることが意識されるなかで発展したものです。それにも関わらず、この二つの考えは、その主要な前提や意味合いにおいて驚くべき共通点が見られます。私たちは、特に、その意味が不確定で状況に依存する現実、構築的あるいは非実体的な自己、そして究極的なものでありながらも表現不可能な関係性について、両者の説明の交わる点や緊張関係を探求します。どちらの考え方も、個人だけでなく、社会や世界のウェルビーイングに貢献する実践を育むことに深く関わっています。結局、重要なことは、特定の言葉や理論的な定式化ではなく、それらが促す、あるいは誘発する実践の形態です。
■ 論文の入手方法
本論文が収録されている書籍は、Taos Instituteのホームページから無料で入手することができます。
※参加方法および資料の入手方法について:本プログラムに申込完了後、Peatixにログインしていただき、「マイチケット」を選択してください。本イベントのチケットにある「イベントに参加」ボタンを押しますと、参加にあたって必要な情報(ZOOMアドレスと資料のダウンロード先)が表示されます。本論文の翻訳は、準備ができ次第アップしますが、プレゼンテーション資料は、イベント開催の数日前ぐらいまでにアップする予定です。
日時:2026年2月5日(木)19:30~22:00
開催形式:オンライン(ZOOM)
今回のプレゼンター:佐藤衛
ファシリテーター:国重浩一、白坂葉子、横山克貴
当日参加チケット、及び録画視聴券:¥3,850(¥3,500+税)
参加枠:45名ほど
*録画視聴可能期間は、3か月程となります。
申込先:https://npaccnohondana202602.peatix.com
領収書について:Peatixでは、「インボイス制度に対応した適格請求書の発行」ができるようになりました。詳しくは次のリンクをご覧ください。https://help-organizer.peatix.com/ja-JP/support/solutions/articles/44002459755-%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9C%E3%82%A4%E3%82%B9%E5%88%B6%E5%BA%A6%E3%81%AB%E5%AF%BE%E5%BF%9C%E3%81%97%E3%81%9F%E9%81%A9%E6%A0%BC%E8%AB%8B%E6%B1%82%E6%9B%B8%E3%81%AE%E7%99%BA%E8%A1%8C%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6
主催:ナラティヴ実践協働研究センター




