
新リスニング道場~RCによる協働的振り返り~(2025年9月)(参加者の声を掲載)
2026-01-152025年にリニューアルした「ナラティヴ・セラピー・ワークショップ・シリーズ 2025」に参加した人から、参加しての感想を頂戴しています。許可のあったものだけを掲載いたします。
2026年には、同じワークショップ・シリーズを開催いたしますので、興味のある方は参加の検討をお願いします。ワークショップの詳細と申込先はこちらからとなります。⇒ ナラティヴ・セラピー・ ワークショップ・シリーズ 2026(火曜昼)
目 次
1.穏やかな海の前で(Bさん)
2.奨学枠で参加して(Aさん)
3.土曜昼コースに参加して
4.火曜昼コースに参加して
1.穏やかな海の前で(Bさん)
――新ナラティヴ・セラピー・ワークショップ2025を受講して――
新ナラティヴ・セラピー・ワークショップ2025を受講し終え、今、私は穏やかな海を目の前にしているような感覚の中にいる。
波の音は心地よいのに、その広さには圧倒される。静けさと同時に、どこか途方もなさを含んだ感覚だ。
そもそも私がこのワークショップを受講しようと思ったきっかけは、働いている職場での行き詰まりだった。
私の職場には、さまざまな生きづらさを抱えた人たちが集っている。
居場所を求めて来る人、次のステップを目指す人、生活リズムを整えたい人――目的は人それぞれで、そのための多様なプログラムが用意されている。
けれど、ある時ふと立ち止まった。
プログラムはある。けれど、その合間や休み時間に交わされる何気ない会話や、ふと投げかけられる相談の言葉に、私はどう応じればよいのだろう、と。
会話、あるいは対話は、思っていた以上に奥が深い。
話し手の言葉を、その人が見ている世界ごと受け取れているのか。
その世界のどこに目を向けるのか。
そして、受け取ったものを、どんな言葉で返していくのか。
考えれば考えるほど、わからなくなっていった。
そんな時に出会ったのが、新ナラティヴ・セラピー・ワークショップ2025だった。
このワークショップでは、ナラティヴ・セラピーの技法(という括りに到底おさまらない「もの」だが)に入る以前に、「援助者として人と関わるとはどういうことか」「人の言葉を聴くとはどういうことか」という、根本的な問いから学びが始まる。
さらに、ナラティヴ・セラピーの背景にある思想や姿勢、さまざまな実践の枠組みに触れていった。
数多くの学びの中で、特に心に残ったことが二つある。
一つは、「クライアントを、目の前にいる一人の人間として尊重すること」が、いかに難しく、そしていかに簡単に損なわれてしまうかということ。
もう一つは、人がどれほど豊かで、多層的な存在であるか、ということだった。
たとえば、話し手の言葉を変えずに返すという関わりは、その人の見ている世界を尊重することであり、「あなた」という存在そのものを尊重する行為でもある。
また、「クライアントこそ専門家である」という言葉は、援助の場に生じやすい支援者―被支援者という力関係に揺さぶりをかけ、クライアントを一人の人間として扱うことの重要性を思い出させてくれる。
さらに、「その人が問題なのではない。問題が問題なのである」というナラティヴ・セラピーの考え方は、クライアントを「〇〇という病気の人」「〇〇という困難を抱えた人」として固定化・単純化する視点から、私たちを解放する。
そこには、豊かな内面や可能性をもった「あなた自身」として、その人と向き合い直すための視座がある。
そのような姿勢のもとで言葉を交わすとき、クライアントは本来のその人らしさを取り戻したり、あらためて見いだしたりするのだろう。
そして、自分であること――診断名や育ち、価値観など、さまざまなものに影響されながらも、それらに還元されない本来の「自分」――を他者に尊重されたとき、そこには確かに「力」が生まれるのではないだろうか。
それは環境に働きかける力かもしれないし、自分の内側に目を向けるまなざしかもしれない。
生きるためのエネルギーになることもあれば、肩の力を抜いて自分を労る力になることもある。
ある時には、その人を守る心の防波堤のような役割を果たすことさえあるのではないか。
同時に、私は逆の可能性にも気づかされた。
もし援助者が、その人の世界や物語を軽視し、本人そのものを「問題」として扱ったならば。
あるいは、「専門性」や「知」を一方的に押しつけてしまったならば。
その瞬間に、人の尊厳は傷つき、生きていく力は奪われかねない。
そのことを思うと、プリーモ・レーヴィの
「自分のものはもう何一つない。」
「話しかけても聞いてくれないし、耳を傾けても、私たちの言葉が分からないだろう。名前も取り上げられてしまうはずだ。」
という言葉や、荘子の「渾沌の死」が、息苦しさとともに思い起こされる。大げさかもしれないが、それほどに重い問題だと感じた。
では、私が職場で利用者の方と接するとき、本当に大切にすべきことは何なのだろう。
それは、援助者という立場や、援助を行う場そのものが、人の尊厳を損ないやすい位置にあることを自覚し続けること。
「〇〇という病気の人」「〇〇という困難のある人」として関わるのではなく、目の前の語りと存在を受け止め、その人に本来備わっている多様で豊かな力が発揮されるような姿勢・態度・言葉を選び続けること。
そして、目の前の「あなた」を、「あなた」として尊重し、「あなた」が「あなた」として生きていくことを支えること――ワークショップの言葉を借りるならば、「認証」することなのだと思う。
このワークショップを通して、私はあらためてその原点に立ち返った。
――とはいえ、それを実践する道のりは決して平坦ではない。
「プラクティス、プラクティス、プラクティス。」
そう自分に言い聞かせながら、海の広さに、少し気が遠くなっている。
それでも、今はこの場所に立っていたい。
穏やかな海を前に、圧倒されながらも、目をそらさずに。
2.奨学枠で参加して(Aさん)
■はじめに
ワークショップの終了後エッセイを書くということは、奨学生になる前から分かっていたし、覚悟もしていた。ただ、実際書いてみると本当にすすまなかった。もちろん書いている最中には今回のワークショップシリーズの資料を全て手元に並べておいたし、何度も読み返したりもした。どうしてこんなにも書けないのか?書き終えた今でも正直よく分かっていない。ただ、「書き進められない=書きたいことがない」という訳ではない。ワークショップシリーズを受けてみて、私の中で明確に変化したこともある。ただ…それをうまく表現できない。
いつもであればきっと「うまく言えないんですけど…人と話をする際の姿勢が変わりました」と曖昧な言い方でお茶をにごしたかもしれない。ただ、今回のエッセイはキチンと自分なりに頭の中を整理して言葉にしてみようと思う。拙い文章になるとは思うが、最後まで読み進めていただけると非常にうれしい。
■私の参加理由
ちょうど一年ほど前、以前業務中に関わった方から手紙をいただいた。その手紙には「〇〇してくれて楽しかった」といった思い出が綴られ、最後に「私のことを思って本気で怒ってくれてありがとう」と書かれていた。その一文を読んだとき、胸の奥でズーンと落ち込むような感覚があった。それはその方と接していた時の自分と、現在の自分の仕事へのスタンスにどうしてもズレがあるように感じたからだ。
このワークショップに参加する前の私は、職場で中堅職員として勤務しており、なんとなく業務をスムーズにこなせるようにはなっていた。しかし振り返って考えてみると、それと引き換えに、人を「思って」対話する時間が減っていたように思う。当時は仕事を円滑に進めるために必要なことと割り切って、カテゴリーに当てはめて人を理解しようとしたり、「この方はきっと〇〇タイプだから△△という支援が必要だろう」などと、会う前から支援方針まで予測してしまうこともあったように思う。
そんなズレを埋めたくて、自分なりに色々な研修やワークショップに参加してみた。そんななか、本当に偶然SNSでNPACCのワークショップを見つけた。ナラティヴ・セラピーという言葉は学生時代に少し学んでいたので知っていたが、参加前の私は「ナラティヴ=外在化」という程度しか知らなかった。しかし、ワークショップでその全体像が少しずつ見え始めると、ナラティブ・セラピーは個人を大切にしつつ、対話をすすめる姿勢を大事にしているのだと知った。それに気づいた時、初めて自分の感じていたズレを言語化できたように感じた。きっと私は、心の中で「目の前の相手を受け止めたうえで、ともに対話していきたい」と願っていたのだと思う。
■ワークショップに参加しての気づき1 ~「口に出してみること」~
このワークショップの中でも特に印象に残った気づきがある。それは、「口に出してみることの大切さ」だ。
対話とは①相手が口に出したことを聴き入れ(自分の中でかみ砕き)、②今度はそれを相手が受け取りやすい形にして、③口に出して相手へそれを伝えるという行為だと思う。言葉にしてみると当たり前のことかもしれないが、実際これをやってみようとすると本当に難しい。なぜなら私たちの周囲には色々な立場や思想を持つ人たちがいるからだ。一生懸命考えに考えて口にしたことが、相手へ意図しない形で伝わることも少なくない。ただ…私はそれでもハリー・グーリシャンの言葉にあるように、「考えていることを見つけるためには口に出してみないといけない」と思う。
実際私はワークショップのシェアリングの時間に他の参加者が語る言葉を聞き、「あ、これって聞いてよかったんだ」「私も同じこと思ってた」と胸が軽くなる瞬間に何度も遭遇した。また、私がまとまりのない話をしても、「私もそう思ってました」「私は〇〇と捉えましたが、どうですか?」と返してもらい、自分の考えだけでは辿りつけなかった新しい景色がひらけるような体験もした。
自分の中で言語化しきれないものを、誰かと共有し、受け取り、言葉を返してもらう――その過程そのものが、一つのアハ体験であり、これが“口に出して相手と対話する”ということなのかもしれないと思えた。
■ワークショップに参加しての気づき2 ~「口に出してみて分かったこと」:私は上手にしゃべれない!?~
一方で、「口に出してみた」からこそ気づいたこともあった。それは、私が自分の感じたことや考えを的確に表現することが苦手ということだ。振り返って考えてみれば、確かにこれまで周囲から「擬音が多い」「抽象的で分かりにくい」と指摘されたことが何度かあった。とはいえ、普段の生活の中で困ることはあまりなかったため、特に「話す(伝える)」という点で特別に意識したり、トレーニングをしてこなかった。
そんななか、「このままではいけない」と感じ、「自分の話し方のレベルを上げよう」と思えたのは、参加者の皆さんの話し方を聞き、「こんなふうに伝えられたら」「この表現、とても素敵だな」と思ったからだ。「同じようにはなれなくても、今より少しでも良くなりたい」。そう思えるようになったのは、「口に出してみた」ことで得たことだと思う。
そうは言っても、急にうまくしゃべることはできないので…このワークショップの初回以降、私は休憩時間や休日にノートを持ち歩くようになった。このことがどれほど自分の語彙力アップにつながるかは分からないが、参加者、主催者のみなさんのようにステキな言葉が出てくるよう日々言葉集めをして、自分の考えや気持ちを「口に出して」いる。
■ワークショップに参加しての気づき ~表面的にしか見えていなかったナラティヴ・セラピー~
もう一つの大きな気づきは、先にも少し触れたが、「ナラティヴ・セラピーは“外在化”だけの心理療法ではない」ということだ。
すでにナラティヴ・セラピーについて見識のあるみなさんは、「外在化を技術として捉えることも必要だけれど、それ以上に、ナラティヴの姿勢やマインドを自分に落とし込むことが大切」と話していた。 ワークショップが終わった今は、その意味が少しだけ理解できる。
技術だけが先行すると、きっと相手にフィットしない提案を押し付けたり、「〇〇したほうが絶対に良いのに」という自分の思いと相手のニーズがぶつかり合う。そうなると、結果的に相手と自分の協働関係は崩れ、対話にならなくなる可能性だってある。
私はこれまで、出会ってきた方々と協働的できる関係性を築き対話してきたつもりであった。ただ、このワークショップに参加して、「技術の習得は大切だが、対話をするために考えることは他にもあるのではないか」と感じるようになった。
ナラティヴ・セラピーを本当に理解し、自分の中に落とし込んでいくためには、自分なりに腑に落としていく時間が必要なのだと思う。
そんな思いから、今、マイケル・ホワイトの書籍や関連書を読み進めている。正直内容が難解でページが全然進まない。「誰か内容を通訳してくれないかな」と思うこともある(笑)。
それでも…相手と対話するために…その道が細く長く続いている限り、学び続けていきたいと思っている。
■ワークショップに参加しての驚き
このワークショップに参加して驚いたのは、講師と参加者、参加者同士の距離の近さ、そしてワークショップ全体に漂うアットホームな空気感だった。
私がこの空気感に驚いたのは、自分がこれまでに参加してきた研修やワークショップでは、「先生 ⇔ 生徒」という構図が明確に区切られており、意見交換といえば“議論”の色合いが強くなることが多かったからだ。そのため、これまで参加してきた研修では、研修中はいつもどこかドキドキしており、安心して受講できなかったことも少なくなかった。
だからこそ、初日に少し早くログインした私へ、コウさんが声をかけてくださったとき、「え、講師の先生がこんな自然に話しかけてくれるの?」と驚き、戸惑いすら覚えたのだと思う。
参加者同士のシェアリングの時間も、とても柔らかく穏やかだった。「意見を言う=どちらが正しいか確かめ合う」場に慣れていた私にとって、相手の言葉をそのまま受け取り、「なるほど、そんな考え方があるのか」と皆さんが言葉をシェアし合う姿は新鮮で、しばらくは戸惑いが続いた。しかし回を重ねるうちに、私も少しずつ安心して話せるようになっていった。
私は普段研修会や勉強会を主催する立場になることもある。いつもその場合には頭をひねって内容を考えるのだが…研修会や勉強会を開く場合には、内容はもちろん雰囲気づくりにも頭をひねる必要があるのだと改めて感じた。そういった意味でも、このワークショップにの空気感に通年を通して参加できたことは、とても勉強になったと思う。
■ まとめ ― このワークショップがくれたもの
まとまりのない文章になってしまったかもしれないが、このワークショップに参加して強く感じたことがある。
それは、「このワークショップには、人と対話し、協働していくためのエッセンスが詰まっている」ということだ。もし参加を迷っている人がいれば、ぜひ参加してほしい。きっと後悔しないと思う。
最後に、奨学生として学ぶ機会をくださったNPACCの皆さんへ、心から感謝を申し上げたい。
このような貴重な学びの場を与えてくださり、本当にありがとうございました。
私はこれからも、ナラティヴ・セラピーを学び続けていきたいと思います。
3.土曜昼コースに参加して
| 私自身がスーパービジョンを受けることもあり、提供することもあります。今後自分自身のスーパービジョンについての考え方の軸が定まってきました。ありがとうございました |
| いくつかの回に参加をして、すべてを理解したわけではありません。ただ、講座の内容と数多くのグループワークで意見を共有したことから、自分が1年間学ぼうとしたこと、少しでも実践で取り組もうと考えたことに自分自身で認証できるような気がします。また、このワークショップのおかげで、相談者や自分自身が行動したことについて、結果の良し悪しではなく、取り組もうと思った過程について目を向けられるようになった気がします。 |
| 12回のワークショップ・シリーズ、ありがとうございました。 ナラティブセラピーを学ぶことや実践することには難解さも感じますが、それ以上に、信頼感、安心感、この学びを自分のものにしたいという気持ちが強く湧いてきて、それは12回を終えた今でも同じです。ソーシャルワーカーで、これまで系統的にきちんとカウンセリングを学んだ経験はあまりないのですが、これほどに信頼感を持って学び続けられる講座はなかなかないように感じています。 人が問題なのではない、問題が問題なのだ 好奇心を大切に といった言葉は何度も聞かせていただく中で、自分の中にゆっくりと確かに腑に落ちている感覚があり、仕事でお話を聞かせていただく中でも、私を支えてくれています。 ためらいがちにですが、「そこところをもう少し聞かせていただいてもいいですか?」という言葉をよく使うようになったように感じています。カウンセリングと好奇心は、私の中ではこれまでつながっていなかったことでしたが、もう少し話を深く聴きたいと思ってもいいんだ、そこを一緒に考えていきたいともっと伝えていいんだという許可を自分に出せているような感覚です。 また、講義をきくなかで、小グループで自分の話を聞いてもらえる中で、ワークの中で、何度も自分自身が認証されたような感覚を感じました。講座を受けながら、自分自身も支えていただいている感覚がありました。 KOUさん、克貴さんをはじめ、えぬぱっくの皆さんの在り方に穏やかさや確かさを感じて、とても信頼感を持って参加し続けることができました。KOUさんが最後におっしゃった、受け手でもあり、作り手でもある、という言葉も印象的で、ご一緒できたみなさんと、ナラティブの考え方への共感を〈わからなさなども含めて〉何度も共有できたこともとてもよかったです。 まだまだナラティブセラピーをえぬぱっくで学び続けたいのですが、家族や仕事の状況もあり、スローラーナーでやってきたいと思っています。動画も何度も見返したいと思います。 どうもありがとうございました。これからもよろしくお願い致します。 |
| 月に1度土曜日にナラティヴ・セラピーについて学ぶ時間があったことは、日々の実践の支えでした。学ぶことを通して認証され、対話を通して自身を振り返る機会をいただいたと感じています。残念ながら、未だ理解は及ばないし実践に生かすことはできていませんが。ブレイクアウトルームで語り合うことや、ワークに参加することは、他者とも自分自身とも出会う場となりました。「リ・メンバリング」「スーパービジョン」が特に印象に残っています。「もう一度こんにちわと言う」ことに、前を向く力をもらいました。「どんな場であれ、人を一生懸命支援している人をこんな立場(批判の矢面)に立たせてはいけない。」という言葉に、だからこそ、RCを通して支援をする人を支えるのだ、という信念を感じました。もう一度学び直したら、また違う意味や風景を見ることができるかもしれない、そんなことを思いながら、一旦終了します。ありがとうございました。 |
| 再受講として,ライブセッションと二つの島とボートを単回受講しました。じっくりと考えるヒントをもらいました。 |
| ・以前から学び続ける一本の柱のようなものを欲していました。数年前にNPACCに出会い、このシリーズを受講したときは、全くの初心者で理解が及ばず難しさを抱えながら参加しました。その後、少しずつ本を読んだり、NPACCの別の講座に参加したりしてきても、まだまだ質問したいこともわからないままの状況は続いています。それでも「スローラーナー」とおっしゃるコーさんの言葉に支えられ、前進してきたように感じています。コーさんやカツキさんのかみ砕いた丁寧なお話や、ヨウコさん他の温かいサポートのおかげと感謝しております。また、数年後に受講してみたいと思っています。 ・学んでいる結果、少なくとも、自身のクライアントさんとの向き合い方や面談のあり方に変化を感じています。クライアントさんをどう見るか(見立てではなく)、質問の仕方等、クライアントさんの役に立てているといいなと感じています。 ・RCを学び、体験できたことも大きな収穫です。対人支援職の中で広まることを願いますし、私自身も少しでも広めていけるよう、さらに学びたいと思っています。 |
| 講義、ディスカッション、ワークを通してたくさんの学びがあり、興味を刺激され、紹介された文献を読むなどして、今後さらに深く学んで行きたいという気持ちが生まれました。このコミュニティーで一番印象に残ったのは、講師、ファシリテーター、参加者を含め、ナラティヴの学習歴によるヒエラルキーをほとんど感じさせないところです。これはとても大切なことだと思います。 |
| 相手に寄り添うとはどのようなことなのか考えさせられた講座でした。 まだ語られていないその方の物語の大切さ、またいかに語っていただくのかセラピスト側の姿勢など学んだと思います。 私はコーチング主体ですが、ナラティブのこう言った視点を取り入れていきたいと思っています。 |
| 私は今回初めて参加させて頂きましたが、 毎回、ナラティヴ・セラピーの大切なエッセンスについて、わかりやすくお話頂き、長く学んできた方々とも、グループトークを通じてお話できて、豊かな時間でした。 自分が長く抱えてきたつらい気持ちにも向き合い、語り直す機会を得て、新たな一歩を踏み出せたことも貴重な体験でした。 |
| ワークショップ・シリーズは2回目の受講でしたが、あらためて1年取り組んでとてもいい時間を過ごせたと考えています。より深い疑問がわいたこと、たくさんのディスカッションの中でエージェンシーや外在化、認証(アクノリリッジメント)や行為や意味の風景、いろいろなナラティヴ・セラピーの要素が自分なりに深められたような気がしています。 |
4.火曜昼コースに参加して(これまで届いている分)
| 新たに編集しなおされたWSシリーズ、堪能しました。特に、リ・メンバリングは真新しく、心に残りました。 |
| 他の回も多くの気づきがあったが、最終回は一番印象的で、今後グリーフケアの場をホールドする時、「耳を調律」しながら場に存在し、振り返りの場でRCが取り入れてみたい。 |
| ナラティヴを自分のカウンセリングの実践に、取り入れていきたいと思い、参加しました。参加前は、一部取り入れることを考えていましたが、全体を理解した上で、判断したいと思い、シーズンで受講しました。学んでいくうちに、更に学んでいきたいと思うようになりました。 |
| 1年間、ナラティヴを学ばせていただき、本当にありがとうございました。 NPACCのナラティヴに触れて感じたのは、「私らしさをこの場にさらしても大丈夫なんだ」と、丸ごと受け止めてもらえる安心感でした。まさに身体(からだ)で感じられる居場所だったと思います。 最初は全く分からなかったことも、「分からなくてもいいんだ」と肯定される感覚。心理的安全性が十分に醸成されたこの場所は、私にとって「何を言ってもいいし、何も言わなくてもいい」大切な空間でした。 少しずつナラティヴに触れる中で、ふとした会話に「外在化」を使っている自分に気づきました。以前の私は、問題の原因を他人のせい、椅子のせい、猫や天気のせいにするのが得意でした。しかし今は、「椅子は何のためにあるのか」「猫と雨はどうつながっているのか」「人と人は、あるいは猫と私は、どう結び合っているのか」……そんな問いが自然と浮かぶようになっています。 現在は、ベイトソンが説いた「つながりのパターン」や、当たり前を疑う「宇宙人の視点」のような考え方に深く魅了されています。 ただ「学ぶことが好き」というだけで、ここまで温かく受け入れてくれる場所は、そうそうありません。この1年で学んだナラティヴは、私の日常のあらゆる場面に波及し、今も良い影響を与え続けています。今日学んだRC(リフレクティング・チーム)についても、これからぜひ深めていきたいと思っています。 関係者の皆様、そして共に学んだ皆様、豊かな時間をありがとうございました。 |
| 対人支援に限らず「対話」の大切さを認識する機会になりました。当たり前ですが、相手と自分は違う(異なる文化を生きている)ことを心にとめて、相手の言葉を尊重して受け取ること、そこに留まり一緒にものを見ようとする態度を身に着けたいと思いました。そして、何かに悩む人の語る(支配的)ストーリーのなかに例外を見出し、共に可能性を見出していければうれしいと感じています。焦らずに「スローラーナー」でいきたいと思います。 |
| 普段参加しているワークショップやセミナーに比べ、流れや質問例などを多様に教えてもらえてとても役に立ちました。実際に支援する場でも資料を脇に置いて関わっています(ZOO M等に限りますが)。上手くいくこともあればいかないこともあります。ただ、実践をすることで、間違いなく理解が深まっています。今後も色々な場面で継続していきたいと思っています。 |
| 自分の価値観や来し方を振り返るような時間になり、知識を得るだけではなくナラティヴ・セラピーを体感できる時間になりました。よりナラティヴ・セラピーを学ぼうという気持ちになる時間でした。ありがとうございました。 |
| 私はカウンセラーでもなく、対人支援というより障害のある方と共に働く就労支援の職員という立場で今回のワークショップに参加しました。 最初はなじめるのか?やっていけるか不安でしたが、単発参加という参加方法で無理だったら途中でやめられる気楽さもあり参加しました。 始まると毎回とても興味深くて、自分の仕事にとって参考になることばかりで、気が付けばすべての回に参加していました。 特に「外在化」や「認証」というキーワードが出る度、いつも「あなたは今相手のどこをみてますか?」と問われているように感じました。 技術うんぬんの前に支援に向かう前の立ち位置というか、あり方について、月に一度のワークショップに参加するたび問われ続けたような気がしました。 言葉でうまく説明できないのですがこの感覚は仕事を続ける上でずっと持ち続けたいと思いました。皆さんありがとうございました。 |




