「ナラティヴ・セラピー・ワークショップ・シリーズ 2021」エッセイ「ワークショップ・シリーズに参加して」

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2022-02-17
「秘密いじめ対策隊」ワークショップへのアンケート結果
2022-03-24
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ナラティヴ・セラピー・ワークショップ・シリーズ 2021に、奨学枠として参加してくれたお二人に、ワークショップ・シリーズで学んだ体験をエッセイに綴ってもらいました。

ナラティヴ・セラピー・ワークショップ・シリーズ 2021の内容は、こちらからご覧ください。https://npacc.jp/2020/3001/

なお、ワークショップ・シリーズは、2022年も実施しております。興味のある方はこちらをご覧ください。https://npacc.jp/2021/3290/

江剌香奈さん

 このエッセイでどんなことを書こうか考えた時、 ワークショップ(以下、WSと表記)で何を学んだか、それに対しどう思ったかを書くのは、今の自分には難しいし失礼かもしれないと思いました。WSの内容を自分なりに消化しようと試行錯誤してきましたが、十分理解できたとはとても言えないし、この先もっと理解が深まる気がして言いたくない気持ちもします。実際このエッセイを書く間も、プラクティス・シリーズの予習としてWSの録画動画を聞き直したのですが、ある程度知っていると感じていた箇所にさらに大きな気づきが得られ、『なぜ当時こんなことに気がつかなかったんだろう』と自分に呆れてしまうこともありました。WSでの体験を通して、『ああ、私って全然わかってないんだな』とか、『ナラティブセラピーを学んでいる他の方々は、もっと色々なことを感じたり考えているんだろうな。それに比べて自分なんて、ロボットみたいなものなんだろうな』という気持ちが大きくなったかもしれません。

 考えてみると、そういった気持ちはWSを受ける以前にはそこまで大きくはありませんでした。もちろん、当時の自分もナラティブセラピーを一定以上分かっているとは思っていません。しかし、『学んだら何かがもっと分かって、できるようになるのだ!』とか、『これを受講することによって、私のカウンセラーとしての技量はレベルアップするのだ!』と安直に自分に期待していたように思います。

 実際に講義を受け始めると、それは“新しい情報を得る体験”というよりも、“講師自身の言葉をきく体験”に感じました。講義に使われた資料は、ナラティブセラピー関連の書籍から抜粋されたものが多くありましたが、実際に自分で読むのと、講師の方の説明を聞くのとでは大違いでした。書籍を一人で読んだ際は、難解な言葉のオンパレードに見え、なんとなく読んでは通り過ぎ、分かったつもりで数秒後に完全忘却し、自分がどこにいるのか分からなくなり途中で挫折することが度々ありました。しかし講師の語りかけるような声を聞きながら読んでいくと、なんとなく分かる気持ちがしてきたり、ナラティブセラピーの理論が徐々に自分の中に染み込んでいくような感じがしました。いっそ資料や文書を読みこまなくても、講師の語り口調をBGMのように流すだけでナラティブセラピーを実感しているような気持ちにもなりました。そしてそのように感じるのは、この講師の方なりに腑に落ちた事だけを話しているからなのだと思いました。『ナラティブセラピーの文章に対する講師の方の理解の仕方は、こんなにも奥深い。それはただ長く勉強したからというよりも、色々な体験や実感の積み重ねとそれを通して出来上がった世界観みたいなものがあるからなんだろうな。それは、どんなものなんだろうな(きっと私にはまだないものかなあ…)』と漠然と考えるようになりました。次第に何かを理解し、覚えて、数回の練習で何かができるようになる、という期待はいつの間にか消えて、そもそもこの学びをどこまで深く理解できるか、じっくり時間をかけながら探索していって、その中で少しでも自分の理解や感性や世界観が広がったらいいな、それが支援にもつながるんだろうな、といった思考になっていきました。

 同じようなことは、他の参加者の方々との関わりの中でも感じました。WSでのワークは、シミュレーションの機会というよりもむしろ、私と異なる人生を歩んでこられた方々と時空間を共にする体験になりました。豊富な社会経験をもつであろう方々が、この学びの場に集った背景にはどんな経験や想いがあったのだろうと想像しながら、一生懸命に学ぶ姿や、苦悩を語る様子を見て、ナラティブセラピーの内容に対する受け止め方や、学ぶ姿勢の多様さ、自身との違いを感じました。『どんな人生があってここに来たのだろう』『とても良いカウンセラーに見えるのに、さらに何を得ようとしているんだろう』『どんな気持ちで、何を求めているのだろう』そんなことを考えながら参加者の方々を見ていると、世界が広がっていくような感覚を覚えて、自分の知らない世界に触れた気持ちがしま した。

 そんな方々とのワークでは、自分のありように気づかされたり(例えば“主要な原因があるはず”という前提で過去にひっぱられている自分等)、分からないながらも謙虚な気持ちでフラットに話を聞くことで自然と対話が進み喜ばれる経験をしたり、その反対に考え過ぎて独りよがりになったと反省したりと、参加者の様子やフィードバックを通して様々なことを学ばせてもらいました。また私よりずっと経験豊富な方々が、相手のことが分からないということを自然に受け止め、それを隠そうとせずに自然体で一生懸命聞く雰囲気をみて、それがどれほど和やかで穏やかなものか体感できたこともうれしかったです。感想をシェアする場面では、誰がどんなことを言うのか興味をもってきくと、自分との受け止め方の違いが分かったり、その人の考えていることが垣間見えて面白く感じました。このように参加者の学びに対する姿勢を感じ、好ましく感じたところに注目し、さらに自分自身の現状を振り返って改善点や気づきを得ることによって、学びをより深いものにできたように思います。これはその時その時で偶然得られた体験だと思うので、『もう十分』という気持ちに至らず、今後もそのような機会を得る度に積み重ねていきたいと思っています。

 さらに、WS以外の時間もまた、WSでの学びを深め、まだまだ学び足りない自分に気づいていくプロセスとなりました。カウンセリング実習をしたり、その逐語記録を作成しスーパーヴァイズを受けたり、心理援助のアルバイトで子どもたちや保護者と接したり、研究活動でゼミ生と討論したり…。そこで他者と話をする機会をもつ度に、WSの内容が頭をよぎり、「どうやって対話をするのがいいんだろう?」「話をきくって、こんな感じで合ってるのかなあ?」「正しい/間違い、良い/悪いの軸から離れた多様な在り様に注目するという行為は、この目の前の人とのコミュニケーションだとどういう風になるんだろう?」などと考えることが増えていきました。そのような経験を積んでまたWSの場に戻ってくると、今度は外での体験やこれまでの人生経験を思い出し、「私は普段このことをどれくらい体感していただろうか?」「分かったと思ったけど全然分かっていなかったかも」「(実生活で)学んだことを完全に忘れて違うように生きていたなあ」などと考え、それを実生活で活かすきっかけになりました。総じて、『対話とは何か』、『人の話を聞く行為は、どういうものか』(理論的に、ではなく実体験・感覚として)ということに特に興味が沸き起こり、頻繁に考え、同時に『自分はどうやって対話して、人の話をきいて、何を感じ考えていたんだろう』と自身を顧みていたように思います。

 以上のように、講義を通してファシリテーター自身の言葉を聞き、ワークで参加者の皆さまと関わり、実生活で他者とコミュニケーションをとる時に対話を意識するといった、WSと日々の生活との循環的な体験すべてが、WSから得られた学びだったと思います。現在もナラティブセラピーで伝える語りや人、人生、悩み苦しみ、その他対話やそこから生まれる諸々に対する捉え方への興味は尽きず、理解したと思うのはとてももったいない気持ちです。また自分のスキル向上に対する期待や焦りは自然と薄れて、自分のペースで歩んでいこうという気持ちになりました。その歩みは、日々自分自身と向き合い、理解・納得できる程度ものから少しずつ順次吸収して、腑に落ちるやり方を一つずつ落とし込んでは試して振り返るといったプロセスのイメージです。

 私は漠然と“良いカウンセラー”という山頂を目指して山登りを始め、ナラティブセラピーを“主要の山路”として選びました。でも結局は、自分がその山路を順当に歩んでいるかどうかの客観的指標はなく、絶えず自分自身と対話し、様々な体験を通して地道に検討・振り返りを積み重ねるしかないと分かりました。すぐに実力あるカウンセラーになれるわけではなくとも、これから先に得られるだろう気づきや自分の伸びしろを考えると楽しみでもあります。そのようなプロセスの先に、自分の中に確固たるナラティブセラピーを作り上げていくことができれば幸いです。私のナラティブセラピーの学びはこれからも続き、その山路を何度も振り返ることになるだろうと思います。

新里早紀さん

ナラティヴ・セラピーとの出会い

 通い慣れた不妊クリニックの待合室で、長い待ち時間を過ごす間、私がよく考えていたのは、お腹の赤ちゃんに病気や障害の可能性が見つかり、「命の選択」という重い決断を迫られた夫婦にとって、どんな心理支援が役立つだろうということでした。

 その頃の私にとってそれは、自分自身の傷と向き合わなくて済むよう、その周辺のことを考えている時間であったのだろうと思います。私と夫は、長い不妊治療で授かった双子を21週の流産で失っていました。妊娠経過は順調で、待ちに待った安定期に入り安産祈願に出かけた数日後、私は異変を感じました。主治医は「これは大きい病院に行こう」と救急搬送の手配をし、そのまま近くの大学病院へと運ばれました。それでも「病院に着いたから、きっともう大丈夫」と楽観していた私に担当医は、「残念だが、これ以上お腹で育てることは難しい。まだ早すぎる。なんとか救命ができる週数までもったとしても、重い合併症を生じるだろう。2人の障害児を育てていくことができそうか、人工妊娠中絶という選択肢も含めて夫婦で話し合ってほしい。できるだけ早く決めたほうがいい」と告げたのです。

 担当医からの絶対安静の指示のもと、個室に残された私たちは、それから数日間、食べる気にも眠る気にもなれず、頭の中で15分おきにかわるがわるやってくる「産もう」と「諦めよう」の2つの考えに必死にしがみつきました。けれども考えれば考えるほど、深刻さは増し、気力はなくなり、思考も交わす言葉も止まってしまいました。真剣に考えるべきだと分かっていながらもそれはできず、感情は麻痺していくようでした。

 そうして何も決められないままに、双子の自然流産のときは来てしまいました。

 私が心理職だからなのか、あるいは元々そういう性格だから心理職を選んだのか、それとも単に、産後のホルモンや母乳分泌を抑える薬の影響だったのか、直後はとにかく夫を支えることに意識が向かいました。まず夫に「私は大丈夫だから、無理に急いで来なくていいから」と連絡をし、看護師さんには「夫はまだ心の準備ができていないので」と、双子との面会のタイミングを急がないでもらえるよう何度か掛け合いました。双子の死を、目の当たりにすることへの夫の抵抗を感じとっていたからです。

 退院の日。帰宅する車で私は、揺れで抱き抱えた小さな棺の中の双子が痛い思いをしないよう、力一杯足を踏ん張りました。
火葬の日。私は義理の母からの「決めることをしないで済んで、よかったさー」という言葉を胸に、そのように事を運んでくれた双子に感謝を伝え、優しい夫に似たに違いないと家族の絆を強く感じました。

 夫は双子の死を目にすることを、最後まで選びませんでした。

 それからしばらくの間私は、夫や周りの人、好きなお笑い芸人やロックアーティストの言葉に励まされ、小旅行で気分をリフレッシュするなどしてなんとか生活を回しながら、全て私のせいだと自分を追い詰めたり、お皿洗いで手が滑っただけで怒りが爆発したり、スピリチュアルに双子が近くにいる瞬間を感じたり、入院中に起こったおもしろエピソードを思い出し、悲しく苦しい時なりの温かいユーモアが湧き上がったりと、悲嘆のプロセスを行ったり来たりして過ごしました。そして、その年のうちにまた、通い慣れた不妊クリニックでの治療を再開したのです。

 ただどこかで、このままこの一本道を進むことに違和感も感じていました。

 気がつくと、待合室でそのようなことを考え始めていたのです。「あのときの私たちにはどんな助けが必要だっただろう」、「私たちと同じような経験をする夫婦を前に、心理職として私ができることはなんだろう」。

 そういうことを考えていると、「次の子どもへ」と向かう一本道から外れることができ、双子が確かに存在したことや、夫や周りの人、常識を気にして表現することができずにいる私本体の想いを、終わったこと、無かったことにしない、寄り道を歩くことができました。その寄り道は、当時の私を深いところで支えていました。

 今度は心理療法を行うほうではなく、受けるほうとして、さまざまな心理療法の技法や理論を自分の体験に当てはめて考える必要がありました。そしてある日、アリス・モーガン著/小森康永、上田牧子訳『ナラティブ・セラピーってなに?』と出会ったのです。大学院の恩師に勧められ一度は読んでいた本ですが、解釈が難しい多様な概念に、「文書」や「儀式」を取り入れることもあるというそのアイディアは、近寄りがたいものでした。でも今回は違いました。軽く目を通す程度に読み直したところでクリニックを後にした私は、探していたものをようやく見つけたお祝いに、行きつけのお店に寄り、妊活のためにしばらく控えていたコーヒーを買ったのです。そして数日かけて、その本にびっしりとマーカーを引きました。

 本の冒頭であっさり書かれていました。それはナラティヴ・セラピーの、人々に敬意を払いつつ非難することのないアプローチでした。そして、考えを変えようとセラピストの思想を押し付けるのではなく、人々を、その人の人生の専門家であるとみなし、問題に対処するスキルや信念、価値感、願望などの資源を豊かに持っているという前提のもとにかかわるプロセスでした。

 あのとき私は、普通の子育てを失った現実も、人生計画の全てを変更しなければならない新しい未来も受け入れられずにいました。そうして、人工妊娠中絶の選択肢を15分おきに考えました。その考えは私にとって、お腹の子どもたちだけでなく、その選択をする私自身の尊厳をも傷つけるものでした。自分の人間性を疑うような罪の意識でアイデンティティが揺さぶられ、他人からの非難にも敏感になっていたと思います。それらに耐えられなくなるかのように次の15分は、障害児を育てる未来について考えるのですが、重い合併症や障害ということだけで、双子の詳しい状態や先の見通し、社会資源も何もかもが分からない不安、そうした未来に踏み出すことへの恐怖、それから偏見や差別、サポートしてもらう親族や他者の負担といったコントロールできないものばかりに焦点が当たり、行き詰まってしまうのでした。

 そんな私たちの前にあのとき、ナラティヴ・セラピストがいてくれて、どんな考えも非難されない安心感の中で、多くを語り合えるよう援助してもらっていたなら、私たちは少しずつ状況を整理し、食べることや眠ることができるようになり、分からないことについて担当医に質問する気力を取り戻していたかもしれません。また、私と夫が持っているスキルや信念、価値観、願望などを引き出してもらいながら、私たち自身が私たちらしくこの問題に対処してもいいと確認していくような、ナラティヴ・セラピーのプロセスを歩めていたら、罪の意識や恐怖や偏見などに飲み込まれず、私たちの立場に焦点を合わせ、それぞれの選択肢が私たちの人生にとって、どのように見合っているか、それとも見合っていないのかと、自由に考えていくことができたのかもしれません。

 そんな心理支援があったなら、私たちは、自分自身が生きていきたいと考える人生に沿った、主体的な意思決定をすることができたように思いました。

 「文書」や「儀式」という、正直なところ少々うさんくさいと感じていたアイディアも、今回はキラキラと輝いてみえました。

 例えばあのとき、ナラティヴ・セラピストと共に話し合う中で、私たちの人生にとって重要だと判断した情報を盛り込んだ「文書」を作っていたとしたら、大切にすべきものが目に見えるようになり、意思決定に役立っただけでなく、その後の人生で、度々困難が訪れても、その「文書」を読み返すことで、困難に立ち向かうために持っている資源を思い出すことができたように思います。さらに今このときが、自分たちが望む人生に結びついていることを再確認し、また一歩踏み出す力になったように思います。

 例えばあのとき、流産から火葬の時まで、言われるがままに病院や社会のルールを守ることしか出来ずにいたのではなく、私たちの考えや取り組みを知っているセラピストと共に、私たちが望む形でお別れの「儀式」を行うことができていたとしたら、かけがいのない2人の子どもの存在を、そしてその子どもたちとの特別で重要なときを、この世界に強くしっかりと認めてもらったように感じられたと思います。

 とにもかくにも、ナラティヴ・セラピーは、あのときの私たちに役立ち、その後の人生を立て直す大きな支えになったであろうと、私の問いに、ひとつの答えを見つけたのでした。

 一方、概念の解釈はやはり難しく、私は本を数冊買い足しましたが、それらの本はしばらく積んだままになっていました。なぜなら、その後私は不妊治療に2度成功し、2児の母になったからです。

 育児が少し落ち着いた頃、機は熟していました。私は、同じような経験をする夫婦への心理支援を身につけるため、まずナラティヴ・セラピーを学び直そうと決意し、積んでいた本を読み、ナラティヴ実践協働研究センターの通年ワークショップに参加しました。全体を掴むためにはまだまだ勉強やトレーニングが必要ですが、このごろでは職場で、ワークショップでの国重浩一先生そっくりの口調になってしまいながらも、少しずつ実践ができるようになりました。

 そして今私は、出生前診断などで、私たち夫婦が経験したような、お腹の子どもの『命の選択』という場面に寄り添う遺伝カウンセリングの勉強をするため、再び大学院に通っています。

 ナラティヴ・セラピーとの出会いによって私は、人々への敬意がいかにその人の心を自由にし、自らの人生に主体性を取り戻し、新しい道を次々と創造するプロセスを支えるのか、知ることができました。それは、あのときのジレンマをこれからの人生の中で解消しようともがいていた私を、ジレンマはジレンマのままでよく、自分に敬意を払い、思いやれる場所へと運んでくれました。そしてこれからは自分だけでなく、家族や周りの人、クライエントに、その敬意や思いやりを届けられる毎日を目指して。私は今、寄り道のこの先をわりと楽しみに感じています。

2022年1月