「協働するカウンセリングと心理療法」出版記念シンポジウム 終了後アンケート

これからナラティヴ・セラピーを学ぶ人のためのビギナーズ・ツアー
2022-04-06
「深刻な問題に対するプレイフル・ アプローチ」の事例から子どもに 対するセラピーを考える(臨床心理士資格更新ポイント申請予定)
2022-05-29
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2022年5月3日(火曜日) 8:30~16:00に開催されました『デヴィッド・パレ著「協働するカウンセリングと心理療法」出版記念シンポジウム』のアンケート結果を掲載いたします。なお、本イベントの概要につきましては、次のリンク(https://npacc.jp/2022/3388/)を参考にしてください。

 イベント参加者に共有し、NPACCのホームページにも掲載していい
1色々な可能性を感じました。まだ本を読了していませんでしたので,まずは本と対話してみたいと思います。
2まだ本書を読んでいないので、まずは読んでみたいと思います。その上で、実践に生かすとともに、NPACCのセミナーへの参加を検討します。
4このアプローチでは「会話」そのものが介入であるという前提など、あらためて、自身のカウンセリングプロセス全体を見つめ直すきっかけになりました。
5まだ、全体を読むことが出来ていないので、先ずは、寝る前に少しずつ読むことでインプットしながらも、実践でクリティカルに自分らしく取り入れていきたいと思っております。キャリアカウンセラーの仲間と、この本について語り合う場も設けてみたいと思っております。
6貴重な勉強の機会をいただきありがとうございました。ご準備くださり、本イベントを実現させてくださった先生方皆様に感謝申し上げます。
10これまで同時通訳のイベントでストレスをかかえないことがなかったので、今日のパレ先生の言葉をわかりやすく、明解に伝えてくださった紫さんの尽力に感謝します。ありがとうございました。丁寧に選ばれた言葉がとても自然に届きました。特に「外在化は恥ずかしく思うことへの解毒剤、人に責めを負わせることへの解毒剤」というような表現をされたところが印象に残っています。言葉を丁寧に、そして自然に選択できるように取り組んでみます。
11まだ書籍を読んでませんのでまずは読もうと思いました。本日の内容からすると,一冊で広い範囲をカバーしているようなので,カウンセリングの基本のテキストとして最適だと思いました。
実践をあまりしない私としては,おおむね知っている事が多かったように思いました。しかし,実践しようとしたら「できないこと」も多いかとは思います。そんな時にきっと役立つ本だろうと思いました。また,途中から徐々にわかってきましたが,知っていることを体系化し,文字で表現することがいかに大事なのか,を感じる事ができたと思います。
12本書は量的にはかなりの分量があるが、読みやすく感じた。それは、コウさんがおしゃっていたように、あらゆる段階のプロセスを言語化してくれているからだと思えた。これからの支援の現場で活用していきたいと思った。そのためには、繰り返し精読していかねばとも思っている。パレ先生の話(紫さんの訳)も分かり易く、大変良かったです。
14ナラティヴやカウンセリングについて、いろいろと考えることができました。本はまだ読んでおりませんが、今日のお話でじっくり読んでみたいと思いました。デビットのお話や本を読まれた方々の感想、活用についてのお話、座談会でのお話、とても興味深くワクワクしながらお聞きしました。たくさん感動したので、書ききれませんが、そのようにクライエントの話を聴くことができるようになりたいと思いました。一つ一つ丁寧に、「自分は知らない」という前提に立って聴くことをまずは意識したいと思います。本日お話いただきました方々によって、より深められました。ありがとうございました。
17実際のクライエントさんをイメージしながら話を聞いていくことでよりクライエントさんを理解することを助けてもらえたり、カウンセラーとしてどういうことができるのかイメージが浮かんできたりしました。今は浮かんできたことをたくさんメモにしていますが、これをまとめたりもう一度録画や本を見直すことで少しずつ頭のなかが整理できていくのかなと感じています。
19書籍を読んだだけでは理解できなかったことが、ワークショップを通して疑問に思っていたこと、また、理解不足が解りました。もっとワークショップを通して、理解を深めたいな~と痛感しました。
21お話が進めば進むほど、「協働」の相手が増えていくのを感じました。クライエントの言葉にも、私の言葉にも、多くの人の言葉が含まれており、その言葉の数だけ取り込んできた歴史と関係があり、抵抗してきた言葉の数だけ歴史と関係があると思いました。でも、語られていない言葉を聴いていくー眠れる物語を呼び覚ますーことこそ、新しい歴史と関係を生み出すことにつながるということなのだと思いました。聴くことが承認であるなら、yesと言えないものとも共存できるのかもしれない、そして、「co‐labor」なら、「labor」なら私もなれるかもしれないという小さな希望のようなものが最後に湧いてきました。 このような静かで熱い語りのイベントと素晴らしい翻訳本を、社会へリリースしていただき、本当にありがとうございました。
26参加して本当に良かったと思うと同時に「さて、私自身のこれからの臨床がどう変化するのか」という期待と不安(とまでは言えない感覚)で興奮しています。私は、民間資格(産業カウンセラー、キャリアカウンセラー)を取得後に、心理学を大学で学び直し、国家資格(公認心理師・キャリコンサルタント)を取得したこともあり、いわゆる王道の流れを経たカウンセラーではありません。このような経歴だからか、「カウンセラー」や「カウンセリング」とはどういうものか、その在り方についていつも探求していたと思います。その答えの多くは、クライエントから学んだと実感しています。本日のパレ博士や、諸先生からのお話を伺い「カウンセリングはクライエントとカウンセラーの協働作業である」このことは、私のこれからの臨床に大きく影響していくと感じています。私が漠然と今後取り組んでみたいことに「カウンセリングをクライエントやカウンセラー自身が当事者として語り、研究していく」ことをしてみたい思いがあります。そうすることで、カウンセリングをもっと身近に、そして究極の日常会話としてのカウンセリングを構築していきたいと考えています。そのためにもまずは、日々の臨床場面で、本日感じたことや『協働するカウンセリングと心理療法』にあるプラクティスを少しずつ実践していこうと考えています。この本に書かれていることを体現することは、私自身のカウンセラーとしての在り方のみならず、人としての生き方にも影響すると考えています。私はカウンセリングにおいて、カウンセラーの発する言葉はクライエントに化学反応を起こす、その反応を注意深くカウンセラーは感じ、くみ取ることを意識していました。これを、また一つ高次のところから見てみると、カウンセラーの発する言葉を引き出しているのはクライエントである、このことを忘れずに意識することで、本日感じた協働するカウンセリングにつながるかもしれないと思っています。きっと、私の言葉の選択が変わってくること、また態度姿勢にも表れてくると考えます。まだまだ、学ぶことはたくさんありますが、今日の講演を伺い、学ぶことへの意欲がむくむくと湧き上がってきていると感じます。本当は、諸先生方のお話すべてに様々な思いがありますが、長くなりますので割愛します。その思いを日々の臨床に活かすことに努めます…。とりとめのない感想で恐縮ですが、本当にありがとうございました。
27パレに直接、話を聞けたことが、何よりも大きいです。文章だけでなく、伝わってくるものがありました。熱量とか、大切に思っているところ、人柄とか。それがなによりも収穫。関係性の中で、パレの書籍のひとつひとつの文章が生き生きと輝き始めました‼️
31デビットパレ先生の講義の中で協働するカウンセリングが上手くいっていないというニュアンスの言葉があり、それをブレイクアウトルームでも話したが、それもまた、がちがちのフレームではなくフレームの中と外があった方が良いと言う対話がしっくりきた。ブレイクアウトルーム作ってもらってより、しっくりきました。予想以上に楽しい時間が過ごせました。これからの僕の生き方に影響があると思います。
32知らないからできることもあれば、知らないからできないこともある。 日本のキャリアカウンセリング界では社会正義が扱われることはあっても、カウンセリングそのものは殆ど扱われていません。また権力(力関係)についても同様です。座談会で語られていた方々もおっしゃっていたとおり、言語化されていなかったから、扱うことができなかったのだと受けとめました。今までは教わっていないから、教われる場がなかったため、カウンセラー中心のキャリアカウンセリングが多かったのかもしれません。でもこうしてこの良本があることを知った以上、知らないでは済まされないと感じました。 またこの本においては、カウンセラーとクライエントとの二人の関係性だけではなく、それぞれの背後にあるコミュニティとの関係性も含めて「協働」と捉えていることも、一日を通して参加したからこそ学べました。平木先生や翻訳に携わった皆さんのお話によって、パレ先生が言わんとされていることにより近づけた感じがします。 多くの対人支援者がパレ氏のこの本を手にとることによって「クライエントの語りが中心化」されることが広まり、豊かな対話が交わされる社会に変化していってほしいと切に思いました。
33ヒトにとってなぜカウンセリングが必要なのか。カウンセリングとは何をしているのか。何ができるのか… という原点を考え、感じることのできる時間だったと思います。
人と人が会話し、物語が共有された瞬間、協働は起こるという面もあり、カウンセラーの専門性は、協働作業としての物語の語り直しが起こる「場とその安全を支える」という言い方もできそうです。パレ先生、そしてさまざまな経験と年令のシンポジストの皆さまの会話がとても多声的で、優しい時間でした。
35平木先生が、日本のカウンセリングの歴史的な話からご自身がどのような壁に当たってそれを通り抜けてきたかを語られ、そのうえでこの本が出たことが嬉しいとおっしゃったのを聴いて、みんなで共有しようという思いが強くなりました。職場において共有したいと思います。綾城先生の社会正義を追求することへの戸惑いという話が印象的で、もっと聴きたい話したいと思いました。それもこの本が言語化してくれたからそういう可能性も開けているのかなと思いました。
36この本で、自分で自分の臨床について、一つずつ確認できるようになったと思う。途中までしか読んでいないけれど、まだまだできていないところが沢山あるので、読み進めつつ、確認しながら、取り組もうと思う。
37本についての感想は、おおむね既にお伝えした通りですが、著者であるDavidの話を聴いてみると、さらに受け取ることがあった感じです。ナラティヴを広めたいと思うが、そのままの出し方でどう受け取られるかを慎重に考え、またその他の実践を取り込みつつ、「コラボレイティヴ」という表現にしたという話は示唆に富むものですが、「どう語られるか」ということに注意するのはとても重要なことだと思いました。それは相手の話を聴く時に限りません。ナラティヴを勉強し、Davidの本を使ったトレーニングコースに参加してきて、日頃会話ややり取りの時にこちらから発する場合に、どう差し出すかはとても神経を使うようになっています。口頭で話すだけでなく、メール一つとっても、大分考えて書いています。
また最後の綾城さんのコメント、アプローチの違う人たちとどう一緒にやっていくかについては、私もかつて悩み、とても憂うつな毎日だったことがありました。まだうまくいくようになったということでは全くありませんが、お互いのやっていることを「〇〇アプローチ」という名詞で考えると、きつい感じがしています。小森康永先生が「ナラティヴは副詞で語ればいいんじゃないか」とおっしゃっていたのが私には救いになりました。どう差し出すか注意することを重ねていくと、少しだけ変わっていく気がしています。
これからも、具体的な言葉や差し出し方を考え考え、相手への影響・自分への影響も意識しながら、会話していこうと思っています。
38本日のシンポジウムは、大変有意義な内容でした。 今まで心理療法やカウンセリングに関して学びを続けてきましたが、本日聞いた内容は、今までとは全く違う視点からの考察で大変新鮮でした。 しかし、その内容は、今まで漠然と疑問に思い、知りたいと思っていた内容でした。自分だけが感じている疑問かと思っていましたが、そうではなかったことが分かり嬉しくなりました。 これから、この本を読むことで、今まで見たくても、なかなか見えなかった本物のカウンセリングの姿が見られることが凄く楽しみです。 本日は、本当にありがとうございました。
39ありがとうございました。とても盛沢山な内容で、充実した1日でした。座談会でのディスカッションをもう少し聴いていたい気持ちがしていました。KOUさんや克貴さんが話して下さったように、この本は今まで言語化されていない会話のプロセスを丁寧に書いてくれたこと、そのため会話自体を確認したり考えたりすることができるようになったことが、とても貴重な功績だと改めて思いました。実在するパレさんにお会いできたこともうれしかったです。大学の先生であり、かつ実践家臨床家という印象を持ちました(この両立は実は容易でないことも思っています)。この本はしっかり読むだけでなく、カウンセリングの教科書として皆で学んでいく必要性も感じました。また綾城さんの「おしつけなのか、倫理的なプロセスなのか」という問いや、平木先生の「自分らしいカウンセラー」という辺りを考え続けています。ひとまず中断している利用者さんに対して、どのあたりで協働できていなかったのか、そこは何かの抵抗なのだと考えて、お手紙を書いてみたいと思いました。また急遽、ブレイクアウトルームの時間をとって頂いたことにも感謝しています。本当にありがとうございました!
41私が支援する組織の人々とのやりとりをするときに、たとえ企業の方向性に賛同しないとしても、その人々の文脈をしっかり聞いて、理解しようとあらためて思いました。
また「自分の理解をクライアントに正してもらう」という行動を通じて、クライアントの主体性を発揮してもらうという捉え方も、さらに拡大していきたいです。
クライアント組織の中で、いわゆる抵抗する人がいてたとしても、その人々の置かれた文脈や、その人々のエージェンシーを理解することを大事にしたいと思います。
45著者の話を直接聞けるのはありがたいですね。どんな人が書いているのか分かると、読む時親しみが湧いてきます。また参加者の「反応」の声が聞けたところも良かったです。皆さんが試行錯誤をしながら取り組まれているのを聞くと、自分の試行錯誤も、一人の行為ではないような気がしてきました。この本は、友達に進めたいですね。一緒に読んで一緒に考えてみたいと思いました。
46私は「協働するカウンセリングと心理療法」はまだ途中しか読んでいませんが、今日のシンポジウムで著者であるデヴィッドに出会い、直接話を聞かして頂いたことで、本の中の文章がさらに意味を持って自分に語ってくれると、感謝の気持ちと残りの部分をしっかりと自分に問いかけながら丁寧に読んでいきたい、という気持ちで一杯になりました。併せて、最近自身のカウンセリングについて悩むことも多かったこのタイミングで、翻訳者、シンポジスト及び感想を提供してくださった4人の方等の多くの声を聞けたことも私にとって大きな意味がありました。それぞれの方の語りに耳を傾けながら、同時に私自身の歴史を振り返っていたという感じで、自分のやってきたことや考えていることに、もう少し自信を持ってもいいのかもしれない、と思えた機会にもなりました。これからも自分のできることを少しづつでも増やしていき、学び、問いかけ続けたいと思います。加えて、カウンセリングにコミュニティの活用を取り入れ、組織の中でカウンセリングの領域を広げていくこと(文化醸成)に取り組んでいきたいと考えています。
47語るということはクライエントに限らず、一人ひとり、どれとして同じものはないという理解ではここまできましたが、語るにいたるまでの人との関係性や意味づけ、プロセス、資源、そして文化、ディスコースそして、やりとりの経過、、と途方もなく広がりがあることをやけにリアルにきいたのですが、なぜだかあせることなく、納得して前を向いて聞くことができました。カウンセリングが終わるといつも、あれやっちゃった、だめだと反省ばかりです。だけどカウンセラーも同じようにたくさんのものを背負ってカウンセリングをするということを、一人ひとりが違うということを認証してもらえたような気がして少しホッとした自分がいます。
49まずは読んでみなくちゃ始まらないということが痛いほど感じられました。何人かの仲間にプレゼントしてでも読んでもらおうと思います。
51今いる支援の現場でローカルな知識について彼らの口から語ってもらうには、どうしたら良いのか考えたいと思うのと同時に、ともに働く人たちへ彼らのことを障害や病気を持ちながら獲得してきたであろうローカルな知識を持つ人として捉えたいことを何とか伝えられないだろうかと考えています。
また、スライド26のウォークインセラピーについてはすごく興味があります。
今いる場所でできないか調べて検討したいと思っています。
52デヴィトがこの本をどのような想いで世に出したのかを直接聞かせていただく事が出来、またこの膨大なページの翻訳に取り組んでいただいたことに、心から感謝申し上げたい。日本でカウンセリングを学び、実践してきましたが、今一度困本を通して、自身のありようや実践を再確認するとともに、言葉の使用をさらに入念にしていくことや、クライエントを「文化的存在」として位置づけ、繊細にカウンセリングに取り組んでいこうと思う。この本が日本におけるカウンセリングの基本を学ぶ書として多くの人に手にしてもらえることを期待するとともに、NPACCがカウンセリング・トレーニングコースを企画、実施されることを待ち望んでいる。
53今日のお話を聴いてまず思い浮かんだのは、今まさに向き合っているチームについて。自分は誰の味方をしているのだろう?と自分に問うてみた時、その味方の在り様は自分の中にある支配的なディスコースに影響されているのだと改めて、ハッとさせられました。そして、もしかしたらチームで経験していることを結果として理解していたかもしれないと思ったらドキドキしてきました。今からでも、その経験の背後にある反応に目を向けて、そこにあるはずの何か大切なものたちを観てみようと思い直させてもらうことが出来ました。 余りにも分厚くてどう取り組めばいいやらと思っていましたが、今日のお話を聴いて、読み進めることが楽しみで仕方なくなりました。ありがとうございました。
54会話そのものが介入であり、常に植民地化(力関係)の危険性が存在する。 「協働=コラボレーション」がキーワードである。 平木先生の発言、「女であること=弱者の位置に置かれている」「私はこの片隅で生きているので、邪魔しないで」という思いから、アサーションに至った。一人ひとりが人生の主人公として生きる「CLは、自分の人生の専門家」自分らしいカウンセラーとは、何だろう?」
を考えています。から
これからCLと協働する「自分らしいカウンセラー」としてどのようにあったら良いか深い問いを頂いた。
55今日は一日ご苦労さまでした。とても貴重な講習会でした。
午前のデービッドさんのお話しと、コメント、午後のディスカッション。長老の平木先生の含蓄のある言葉。どれも印象的でした。
私自身のカウンセリング実践をふりかえるとても良い機会になりました。

最後の方で、国重さんが日本に限らず、カウンセリングそのものについて話す言葉がこれまで展開してこなかったと言われた点、私も同感です。私もロジャーズから出発し、その言っていることの意味が本当にはよく理解できなくて、その後のPCAがフォーカシングやグループへと展開したのに対して、会話にこだわった結果、ナラティヴに出会い、そしてコラボレィヴ、オープンダイローグと探ってきましたが、私にとっては、ロジャーズが言おうとしたことの再確認の方が多かったのです。それについて、デービッドのこの書物は、皆さんが言葉を尽くして述べておられるように、カウンセリングで行っていることを、ロジャーズとは異なった、この時代と文化文脈に即した、述べ方があるということですね。それが見事に実現しています。

能智さんが今回強調された、他者からの承認、ロジャーズは受容と言っていましたが、受容は、目前の他者に受け入れられるだけでは足らない。目前の他者の背後にある文化歴史、そして社会を通して承認されることが求められます。受容は社会的なものです。多視点との照合を常に用意していかれる姿勢に共感を覚えます。

デービィッドさんの言葉の仕掛けはインパクトがあり、まだまだ議論はこれからでしょう。ストーリーが検閲の産物であるのは、その通りです。出来事の選択と配列は、その文脈で決まってきますから。力関係によって、カウンセリングの中に、無意図的に検閲が忍び込んでしまいます。こういった共同構築の罠がつきまとうのが私たちの現場ですね。それは専門家が心を植民地化してしまうリスクと深く関係します。デービッドさんは、そこをどのように自己チェックしてこられたのか興味深いです。おそらく、クライエントのそのつど、確かめながら、慎重に言葉を選びながら進めていくことかと思います。

Response based practice という観点も斬新ですね。結果ではなくresponse(反応・応答・責任)は、次に何かが生まれることで、そのresponse の意味が生まれてきます。
また別の機会にこういったアプローチについて、大いに語り合いましょう。
いい機会をいただきありがとうございました。森岡正芳
56今年の冬偶然この本を書店で見つけたとき,とても興奮したのを覚えています。なによりもマイクロカウンセリングやヘルピングスキルとは全く異なった,ブリーフセラピーやナラティヴ・セラピーといった構成主義的心理療法の立場からカウンセリングのプロセスが論じられていたことの驚きと興奮でした。私自身は,解決志向ブリーフセラピーを自分の臨床のOSとしているのですが,他のカウンセリングの本では決して引用されることのない,de Shazer や Berg,さらにはMillerやDuncan, de Jongといった人もたくさん引用されていることにも驚きました。

これらのセラピーは,どちらかと言うと技法の目新しさが強調されることが多いと思います。ちなみに,ソリューションでは,どうしてもミラクル・クエスチョンや例外を探す質問などが注目されます。そのために,その背景にある協働の考え方や問題の捉え方のような基礎的な部分,いわばセラピーにおける倫理の部分,がなかなか理解されてこなかったと思います。今後はこの本がこうした倫理の部分を補完していくのではと考えています。ソリューションではGood Reason を重視しますが,少々見方を変えると今回のパレ先生のレクチャーは,こうしたGoodReasonを様々な視点から論じていたように思い,私自身この基礎的な部分について改めて確認することができたように思います。

それから,国重先生の「カウンセリングを語る言葉がない」という発言。まさにそう思います。私は,授業のなかで大学院生に面接のデモンストレーションをするのですが,その後のディスカッションがほとんどできないということをしばしば経験します。彼らが何も見ていない,感じていないわけではないというのは表情からわかります。しかし自分自身の見たことや感じたことを適切に表現するための言葉がないために,その行為を分類することすらできないと思っています。この本を活用することにより,カウンセリングプロセスを語る語彙は増え,さらにカウンセリングをめぐる語りも変化していくものと思います。

私も有志を集め,この本の輪読会から初めてみようと思います。どうもありがとうございました。
57この本を読み込みむこと。
59デビッド・パレ氏の『協働するカウンセリングと心理療法』の本が、パレ氏の講演とシンポジストの方々の話の中から、ナラティヴという言葉をあえて前面に出さず書かれてあり、あらゆる段階の細かい事が言語化されていて、言語化されるからこそ使えるようになる、という話に、そういうことなのだ!と目から鱗が落ちたように感じました。 カウンセリングにおける、人を「支援する」という場面の、カウンセラーに必要な姿勢の大切なことを、それぞれの語りから浮き上がらせてくださっていたと受け取りました。また、「カウンセリングそのものを表現する言葉は発達してこなかった。この本で、カウンセリングそのものを話せるようになったという期待を持っている」との言葉は印象的でした。この本は、カウンセラーが専門性の追求を続ける為の書になっているように思えます。誰でもが手にできるような本が世に出てきたことは、本当に素晴らしいと思います。 今日の出版記念シンポジウムを聞きつつ、自分自身、本を読みその内容に触れたからといって、それをそのまま出来るというわけでもなく、なかなかに難しい事と思います。ですが、少しでも近づけるよう、人の話を聞かせていただく時に意識していきたいです。 今回のシンポジウムはGW中の楽しみにしていましたので、参加することができて本当に良かったです。企画をしていただいたNPACCの皆様、デビッド・パレ氏、関係者の皆様、ありがとうございました。
60パレ先生のレクチャー、プレゼンターの方々のお話、そしていつまでも続いていきそうな座談会へと昇り詰めたと思ったら定刻でスッと終わって、花火大会の後みたいな余韻が残りました。文化や権力のこと、ナラティヴとの類似と相違、ケアの倫理、承認ということの意味、文化的存在としてのクライエントとカウンセラー、クライエントに中心にいてもらい続ける実践等々、私の思考もあちこちに飛んだ日でした。最後には今お会いしている人たちとのカウンセリングがどんな状況にあるのかを考えながら聞いていたのですが、カウンセリングに限らず、今の職場の全ての活動をもう一度協働という視点から捉え直してみようと思っています。
61私は現在大学院で心理学を学んでいます。指導教員から「協働するカウンセリングと心理療法」の著書を教えて頂き,購入いたしました。まだまだ初学者ではありますが,この著書を読み,他のこれまで読んだカウンセリングに関する著書とは一風変わったものだと感じました。カウンセリングにおいて必要なことが丁寧に説明されており,今一度原点に立ち返ったようなそんな気持ちになりました。著者であるデヴィッド・パレ氏のお話を聞く中で,もっと自分自身のスキルを磨き,クライエントと協働する会話ができるようになりたいと強く思いました。まだ理解できていない部分も多いので,じっくり著書を読み直し,指導教員や他の学生と協働し,研鑽に努めたいと思います。この度はありがとうございました。
64あらやすです。先日、出版記念セミナーに参加させていただきました。 現代の心理社会的なアプローチに携わるソーシャルワーカーの端くれとして必死に読み進めています。
ここでは、浩瀚な著述を簡潔にまとめるのは容易なことではないので、私なりに読み進めながらセミナーを受講し、著者と翻訳者の人々の話を伺いながらふと思ったことを書いてみようと思いました。こうした観点は、私がカウンセリングや心理療法にはちょっと疎いからかもしれません。 私は、読み進める中で分野が異なりますが、任天堂の数あるゲーム機を発明した横井軍平氏の「枯れた知識の水平思考」という言葉がふと思い立ちました。あるアプローチがしばしば時代によっては「枯れた」という評価や意味付けられることや忘れ去られてしまうことがあります。仮にナラティヴ・アプローチがその一つだとしたら、これまでの私でしたら、どのように生き生きと血を通わせられるのだろうか、と自問することがありました。本書を読み進める中で、数多くのアプローチが歴史上、無数に散在したとしても、そこには一方向的な評価や意味付けがあろうとも、改めて組み上げる(汲み上げる)視点やアプローチが存在する、そうした指針の一つとして受け取りました。そこには、パレ氏のMichael White氏やほかにも数多くの識者たちへの敬意と翻訳者の賛同が伝わってくるようです。 本書は、その水平思考が巡るところには、時代ごとのミッションとして引き継ぎ、引き受け、次代に繋ごうとする、結節点が析出しているようです。